2015-06-30(Tue)
NEPAL震災後の出来事

ランタン谷は私にとって思い入れがとてもある場所。
初めてのネパール遠征をした時に訪れたのがその始まりであり、
ランタンが大好きになったきっかけででもある。
またランタンは首都カトマンズから直線で約50㎞と近く、
その後も何度となく訪れている。
今年の4月下旬、そのランタン谷が大変なことになった。
最初に届いたランタンの情報は、壊滅的とか全滅とか、谷全体が埋まる…。
という様な、センセーショナルなものばかりだった。
2015年4月25日11時56分にネパールの首都カトマンズ北西77km付近、ガンダキ県ゴルカ郡サウラパニの深さ15kmを震源として地震が発生した。地震の規模はMw7.8(※)と推定。1934年ビハール・ネパール地震(M8.1)から約80年経って発生した巨大地震だった。80年前の地震を経験して、さらに記憶に残っている人はすでに少なく、さぞかしネパールの人達は驚き、また恐怖であっただろう。その時の状況をネパールの友人達に聞くと、「この世の終わりがきた」「もうみんな死ぬんだ」と思ったという人が少なくない。SNS等で繋がっている友人達とコンタクトをとるが、地震発生から一ヶ月ほどの間は、ほとんど悲観的な答えしか戻ってこなかった。世話になっている現地のエージェントと連絡を取り、今すぐにでもそちらに行きたいと言っても、今は来ない方が良い、危ないから来るな。という答えがしばらく続いた。そして5月も下旬になり、日本ではネパール地震のニュースもほとんど流れなくなった頃、ネパールに来て欲しいという打診もあり、こちらのスケジュールも調整し、やっと行ける段取りが整った。


今回の目的は何か、まずはこの目でランタン谷を見てみたい。また山岳ガイドという視点から、ランタン谷のルート状況をこの目で確かめたい。そしてランタン村の人達や友人のシェルパ達に支援物資を届けたい。陸路は当然無理なので、谷の中では地震の影響が比較的少ないとの情報のあるギャンジンまで、ヘリコプターを自費でチャーターすることになった。自費チャーターは正直きつかったが、後日賛同者も現れて同行者3名+支援金でまかなえることになった。
支援物資は、現地に確認したところ、雨具とテントとタープという事で、まずSNSの知り合いや親しくしていただいている山のお客様に声をかけ、テントや雨具が集まった。皆さんから支援金も集まり準備万端となった。
第一回目 6/22深夜便にてカトマンズへ。…滞在4日間… 2015.06/22-25
仕事の予定もあり、やっとスケジュールが空いた。夕方に山での仕事が終わり、その足で空港へ向かった。バンコク経由で翌日昼にカトマンズ着。カトマンズは思いの外にいつも通りだった。空港周辺には崩壊しているビルも無く、半年前(2014/7月)訪れた時と変わらないカトマンズがそこにあった。ニュースに写る画像は、崩壊したビルと瓦礫の山、逃げ惑う人々…そんな場面で世界へ発信される映像はストップしていたんだ。何でいつも通りに戻っているカトマンズを放送しない?やはり瓦礫の山に比べ、平時に戻ったカトマンズはニュースソースとしては薄いのか?そのせいなのか、カトマンズを訪れる観光客は激減。ネパールにおける外貨収入のほとんどを占める観光業だけがストップしていた。夜、食事に招待したカトマンズ在住のシェルパは、地震以来全く仕事が無いという。「地震では助かったが、お仕事無くて死ぬよ」の言葉に切羽詰まる思いがするが、いつもひょうきんな彼が、「でも頑張るよ~」と笑っていう。現地の友人達と次々に連絡を取り実際に会う。幸い連絡の取れた友人達の中には、家が破損した程度で大きな被害を受けた者はいなかった。但、色々と地震の話を聞くと、皆一様に暗い顔になる。
カトマンズ滞在3日間、毎朝四時起きで晴れ間を待ちヘリフライト待機をしたが、日本での仕事があり、どうしても帰らなくてはならない為、結局ヘリは飛べず帰る事になる。寂しい雨季のネパールだった。




今回、ヘリの手配をしてくれたウダヤさん(シーガルトラベル NEPAL)
天候回復せずヘリが飛べない…何度もヘリ会社へ連絡をしていた。
第2回目訪問に続く